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「福永武彦研究」第11号が発行されました。

「福永武彦研究」第11号が発行されました。(2015.11.20発行、137頁、1300円、150部 増刷はしません)
版型:B5判・2段組 
表紙: 一高弓術部の雑誌「反求會々報」第18号より福永自筆署名

福永武彦研究第11号表紙

(内容)
 【特別例会講演記録】
   菅野昭正先生「福永武彦の人と文学」(2014年12月14日)
 【作品論】
  ・少年・風景・存在―「『夜の寂しい顔』について」のための覚え書 /渡邊啓史
 【書評】
  ・田口耕平著『「草の花」の成立 福永武彦の履歴』 /西田一豊
 【福永武彦年譜前言】【福永武彦年譜】1918年~1948年 /三坂 剛
 【随筆集索引】
  ・『遠くのこだま』、『秋風日記』  
 【研究会の頁】
  ・会員短信、例会活動履歴、執筆者紹介、後記

当ホームページより購入可能です。
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我が蒐書記 4

古書目録を眺めていると、多くの小説家・詩人・思想家(と若干の科学者)の著書や自筆物が掲載されており、福永の「意中の文士たち」である鴎外や漱石や荷風、朔太郎や堀辰雄などの著作ももちろん数多く含まれているものの、それらの作家を今まで蒐集してみようと思ったことはない。戦前本(堀は戦後存命ながら、主要著作は戦前に全て刊行されている)には、既に熱意と知識と資金力を兼ね備えた有力な蒐集家が複数いることを知っていたし、書誌研究の分野でも、細部に渡ってかなり極められていた。
つまり、どうせ時間とお金をかけて蒐集するのなら、素人なりに何ほどか世間様に貢献ができる小説家・詩人が好ましかった。もちろん、初めのうちは蒐集すること自体が愉しいので、目的などは何もなかったのだが、年月が経つにつれ、まだまだ検討すべき余地がいくらでもありそうな福永の著訳書、関連雑誌、自筆物蒐集にのめり込んでいった。
ただ、この10年ほど(つまり、値がだいぶ落ち着いてから)、福永研究の一環として、漱石と朔太郎はそれなりに蒐めた。とりあえず初版・完本を目指したが、『猫』の初版・カヴァ付3冊揃や『月に吠える』カヴァ付などの特別高価な本は所蔵していない。完全蒐集を目指してはいないので、無理して欲しいとも思っていない。
それでも、福永が好んだ『門』や『氷島』などをオリジナル本で読んでみると、漱石や朔太郎がより身近に感じられるし、福永文学への理解が一歩進むような気がする。おそらくは錯覚だろうが、一向に構わない。

荷風は―若き福永武彦にとって、理想の文士であったことは周知の事実であり―蒐集の初期に揃えようかと考えたことがあったのだが、80年代後半、荷風本は全体的に高価であり、例えば山田朝一『荷風書誌』(1985 出版ニュース社 画像は限定150部本表紙)巻末綴じ込み「永井荷風書価一覧」を見ると、処女出版『野心』が80万円、『女優ナナ』パラフィンカヴァ付が50万円、『腕くらべ』私家版50部本が250万円、そして『ふらんす物語』(発禁本)450万とある。これでは、おいそれと手を出せない。

山田朝一『荷風書誌』

私は、ある作家の著訳書を本気で蒐集するのなら、その秘訣は「稀覯本(=高価な本)から入手すること」だと思っているので、例えば福永なら『ある青春』特装本(田村書店より46万円を44万円)や『夜の時間』50部本(前述の如く、浪速書林より署名カード入り20万円)、『愛の試み愛の終り』30部本(田村書店より25万円だったか)などは、蒐集の極初期に入手している。
その倣いでいけば、荷風の前記著作は最初に手にしなければならないのだが、当時(も今も)、1冊の本に数百万円を支出することは私には不可能であり、且つ、何より古書店主の山田氏によって長年蒐集されたこの素晴らしい書目を知るに及び、自然とその気が失せた。

私は、ある人物・その業績に惚れるとその方が存命ならば臆面も無く会いに行き、色々とお喋りしたくなる性質で―福永の存命中には、まだ文学に開眼せずもっぱら思想・哲学書に惹かれていた私に会いに行くほどの興味はなく―この『荷風書誌』を手にした前後には、既にしばしば山田書店に脚を運んでいたので、早速店主山田朝一さんにお話しを伺ったことがある。こちらが福永武彦を蒐集していることを告げると、堀辰雄からは幾度か注文のはがきを貰ったことがあり、もし出てきたら御見せしますというワクワクするようなお話しだったのだが、残念なことにその機会は得られなかった。その際、持参した『荷風書誌』普及本に宛名入りで毛筆識語を入れていただいたのを思い出し、さんざん探しているのだがどこに置いたのか出てこない。
反町茂雄さんの場合、前述したように『一古書肆の思い出』を読んではいたのだが、どうも怖そうなおじいさんという印象だったし、メインが古典籍ということでこちらにまったく話の継ぎ穂がないので、ついにお話しする機会はなかったが―今思うと、近代の自筆物に関してお訊きしておけばよかったと悔やまれるが―、山田さんの場合、荷風ということと、何となくお人柄が近づきやすいように感じられたものだ。

(三坂)

我が蒐書記 3

この三越展目録に福永の著書を出品しているのは、おそらく文車の会の玉英堂だったろう。川崎に住んでいる私にとって、福永著書蒐集の上で最もお世話になったのは神保町田村書店の奥平晃一氏、それに玉英堂の斉藤孝夫氏である(前記、浪速書林の梶原正弘氏を知ったのはやや後だった。その梶原氏は2008年11月に、斉藤氏は2014年1月にお亡くなりになった。共に70代、実に惜しまれる)。
福永本蒐集の明確な目的を持って、玉英堂2階の稀覯本ルームに通うようになったのは、1989年からだった。手許に「玉英堂稀覯本書目 第192号 自筆本/初版本/限定本」目録がある(画像)。福永関連では、以下の品が掲載されている。

玉英堂稀覯本書目第192号

・マチネ・ポエティク詩集 普及本   45000円
・福永武彦詩集 限定130部 署名入 45000円
・自筆草稿「東京の夏」 ペン200字×14枚完 550000円(画像紹介)

夏目漱石から大江健三郎まで全445点の初版本・限定本・自筆物が掲載された、この写真が豊富に挿入された目録を、私は繰り返し読み込んだものだ。今でも解説文を暗記しているほどである。福永に限らず、近代文学の大まかな流れを、本の上の知識ではなく、稀覯本や自筆物という原物を通して学ぶことのできるのが、この種の目録の利点だろう。
「この品にはこれだけの値をつけますが、如何でしょう。どうぞお手に取ってみてください」という店主の語りかけに、こちらも真剣勝負で挑み、懐具合と相談して取捨選択して注文する。入手したときの喜びは一入だが、注文しても既に先を越され、シマッタ!と臍をかむことも多い。
この192号目録では、『マチネ・ポエティク詩集』普及本を注文したが、既に売り切れ。限定本はそれ以前に田村書店にて36000円で入手していたのだが、この普及本は手にしたことがなかったので、実に残念だった(ずっと探し続け、この10年ほどで2冊入手した)。現在でも、この限定本はネット上でもしばしば眼にするが、普及本はなかなか出てこない。

それに自筆草稿、これは大いに迷った。80年代末のこの時期、福永の自筆物は草稿も書簡も色紙も余り出てこず、よほど買おうと思ったのだが、200字14枚で55万円はいかにも高い。蒐集を始めて日も浅く、値の判断がつかなかったこともある。結局、見逃した(後に、この品は70万円で池袋の古書店目録に出ていた。その折もわざわざ脚を運んで現物を見せてもらったのだが、その時は店主が留守とのことで、値段は2万円引くと応対の女性に言われたのだが、踏ん切りがつかず結局縁がなかった。後に調べたところ、この品は、玉英堂稀覯本書目の1986年7月発行第169号にも既に掲載されていた)。
この目録で私が購入したのは、神西清詩稿「夏と血の歌」ペン400字×2枚完(10万円)である。福永武彦編『神西清詩集』(東京創元社 1958)では「血の歌」と題される詩の別稿であることは知っていた。神西詩篇の中でも傑作だろう。先日の研究会例会(2015年7月)でも発表したように、この時期から神西に惹かれて、蒐集し始めていたのだが、しかしよく購入したと思う。10万円は、蒐集初心者にとって小さな額ではない。ただ、身銭を切ることで、より真剣に資料に対峙できるようになった気がする。

この玉英堂目録にしろ、浪速書林の目録にしろ、画像+書誌事項+解説という基本は、もちろん反町弘文荘の待賈古書目を範としていることは明白である。斉藤、梶原のお2人は、若い時分に反町が会長をしていた文庫の会(古書店主同士の自由な、自筆物や古文書、歴史など様々な分野の勉強会)に入会し、反町から直接古書籍や近代文学書の価値はもちろん、精選された本に写真版を挿入して目録を発行し続けることが、古書店発展・継続の要諦であると、目録発行の重要性を教えられている。
近代文学書は、古典籍(主として江戸以前の稀覯本)に比して歴史が浅く奥行きもないと一般に思われているが、しかし、それでも浪速書林や玉英堂の近代文学目録を長年手にしてきて、明治初年からこの150年間に発行された主な文学書・訳書(明治期は思想書含)が、歴史年表・文学年表にキッチリと収まるような整理整頓された小さなものではなく、大望を抱えた思想家・小説家・詩人たちの試行錯誤の積み重ね、その素晴らしい成果であることを、オリジナル本に付された写真や解説によって、私は多少なりとも感得することができたように思う。

(三坂)

我が蒐書記 2

弘文荘を知ったのは何時だったろう。反町氏の『一古書肆の思い出』(平凡社 全5巻 1986-1992)を最初に読んだ記憶があるので、早速取り出してみる。第1巻を1988年11月3日に購入しており、その巻頭に著者近影が載っているので、おそらくこの本で知ったのだろう。60年に渡る古書肆の経験と薀蓄を傾けて、昭和初年からの古書籍売買の歴史を、語りかけるような文体で執筆されたこの本は、古典籍には無知蒙昧な若い私にも、強い刺激を与えてくれた。佐々木信綱や池田亀鑑、川瀬一馬などの学者、中山正善や安田善次郎、上野精一などの大蒐集家の存在を身近にした―それも、売り買いを仲立ちにした真剣勝負の姿―その反町の話は、実に魅力的であった。
我が蒐集のはじめに、寿岳文章と反町茂雄を知ったことは、日本の書籍の奥深さと価値を知る上で―近代文学書を相対的に眺める視点を与えられて―実に幸運だったと思うし、書誌に志す決定的な切っ掛けとなった。

それ以来「弘文荘待賈古書目」は、古書店(展)で眼に付くと手にして、(安ければ)入手してきた。1号から50号、その後の「日本の自筆本」(2冊)や「日本の古文書」、大冊「弘文荘敬愛書図録」(2冊)など、福永武彦と直接は何の関りもないが、本の世界の魅力は絶大で、ポツポツと蒐めて眺めて愉しんできた。その目録の具体的な記述は、また後に詳しくみたい。
先日(2015年8月16日)、千代田区立図書館で同目録の第39号と第41号全体をコピー(表紙はカラー)して、これでめでたく全55冊が手許に揃った。他の号はすべて所蔵しているのだが、この2冊だけ各々第38号と第40号の追補として発行された薄い小冊子なので今まで見つけられず、だいぶ躊躇したがとりあえずコピーで我慢することにした。それでも、自ら祝いたい気持ちである。完蒐に(2冊はコピーだが)25年かかった。
同図書館には、反町が蒐集した明治時代から昭和の古書目録が大量に収蔵されており、書誌研究上でも貴重な資料群となっている。

福永の著訳書や自筆物は残念ながら待賈古書目には掲載されていないが、弘文荘蒐集の品を展観・即売した日本橋三越展の目録(この目録には、反町の他に「文車の会」会員古書店の収集品も掲載されているので、待賈古書目には数えられない。画像は1975年同展目録表紙)には、近代文学書も多く取り扱われており、嬉しいことに福永の著書も含まれている。列挙してみよう。

弘文荘主宰 三越展目録 1975


・加田伶太郎全集 背赤革・平蛇皮装超特製5部本 毛筆句・署名入 280000円
・福永武彦詩集 限定130部本 署名入 22000円
・夜の三部作 限定500部 毛筆署名入  18000円
・幼年 A版 限定172部 署名入  45000円
・幼年 B版 限定80部  署名入 23000円(浪速目録の93部本と同種)
・意中の文士たち・画家たち  限定250部 毛筆署名入  43000円
・死の島 限定350部 署名入  50000円
・象牙集  限定500部  45000円
・マチネ・ポエティク詩集 普及版・限定750部版揃い  50000円
・マチネ・ポエティク詩集 限定750部   25000円

先に掲載した、浪速書林古書目録と比較してみるもの興味深い。あちらは1990年、こちらは1975年。
中でも極め付きの稀覯本は『加田伶太郎全集』超特装5部本で(これは画像で紹介されている)、この目録以外には今まで2度しか眼にしたことはない(私は2004年9月に、40万円で神保町玉英堂より購入した)。この種の極め付きの稀覯本は、時勢に関らず、値崩れはしない。
上掲の内『福永武彦詩集』限定130部本と『マチネ・ポエティク詩集』の普及版・限定版の2冊揃、そして限定版1冊も、現在ならこの2倍程度だろう。しかし、他の品は現在より高い。『意中の文士たち・画家たち』と『死の島』は4分の1から3分の1、他は半額程度で今なら購入できる。同じ稀覯本でも、本によってかなり開きが出ていると言える。


我が蒐書記

福永武彦の著訳書、関連雑誌、自筆資料などを意識的に蒐集し始めたのは、20代後半である。ここで、今までの蒐集歴を振り返ってみることも、福永資料に関心のある方々にとっては、まんざら無意味ではあるまい。気軽に書いてみたい。

曖昧な記憶に頼って書くのではなく、確実な資料を元に、つまり各店の古書目録を座右に置いて、具体的に記した方がお役に立つだろう。
今、手許に「浪速書林古書目録」第16号(1990年12月発行)がある。書誌特輯の本冊(B5判、83頁 画像)に、初版本・限定本、美術・版画・趣味分野の別冊(B5判 48頁)が付く。別冊には画像が豊富に挿入されている。

浪速書林古書目録第16号表紙

書誌特輯というのも珍しかったが、浪速書林の目録には毎回著名人が随筆を寄せていて、それも亦、古書蒐集には有用な文章であった。この号では、高橋啓介「蒐書と書誌」、そして谷沢永一・浦西和彦・山野博史の鼎談「書誌―作るよろこび、読むたのしみ」が掲載されており、大いに啓発された。
当時は、まだ福永著訳書を蒐集しはじめて2年ほどで、本の歴史に関しても、また本自体に対する知識も貧弱であったので、この書誌特輯は特にありがたかった。本についての本がこんなに多量にあるとは驚きであったし、近代文学は、古典籍に比較すれば、日本で刊行されてきた本のほんの一部分にしか過ぎないことが、見て取れた。私の書誌への関心は、この冊子の影響があるような気がする。
本冊に鉛筆で印をつけてあるのは、例えば『寿岳文章書物論集成』(22000円)、『限定本書影・目録』(20000円)、『書物の道』(寿岳文章 30000円)、『本の正座』(寿岳文章 42000円)、『紙魚放光 尾上蒐文洞古稀記念』(6000円)、『初版本 現代文学書百科』(城市郎 2000円)などで、どれもこの時に購入はしていない筈だが、蒐集の初期に、寿岳文章をさかんに蒐めて読んだことは、正解だったと今思う。その存在を知ったのは、福永全小説の月報で、寿岳さんが執筆していたことによったものだろう。

別冊には、福永著書が15点掲載されている。列挙してみよう。
・ボオドレエルの世界 カヴァ 25000円
・塔 カヴァ 120000円
・アンドレ・ジイド  石川淳宛署名入  45000円
・癈市  カヴァ・帯 石川淳宛署名入  50000円
・ゴーギャンの世界 函・帯 石川淳宛署名入 65000円
・藝術の慰め  函・帯 石川淳宛署名入 65000円
・風土 決定版 函・帯 石川淳宛署名入 45000円
・夜の時間 私家版50部本 本多顯彰宛署名カード付 200000円(画像)
・愛の試み カヴァ 中川與一宛署名入 35000円
・風土 完全版 私家版30部本  100000円
・幼年 限定93部本 署名入  35000円
・加田伶太郎全集 限定50部 句・署名入 200000円(画像)
・福永武彦詩集 限定130部本 署名入 40000円
・夢百首雜百首 限定A版50部 歌・署名入 95000円
・夢百首雜百首 限定B版150部 署名入  45000円
                     (画像)は、写真版で紹介してある本。

このような稀覯本の存在とその古書価格を、私は古書目録を熟読し、何より実際に購入することで、ひとつひとつ学んでいった。
この時は、上記の内『夜の時間』限定50部本を購入した。赤ペンで「購入」と記してある。思い返してみると、その直前に発行された雑誌「日本古書通信」でこの『夜の時間』限定50部本を見つけ、出品店の浪速書林から購入した際、その本と一緒にこの目録が送られて来たと覚えている。つまり、浪速書林との付き合いは、この時が初めてだった。なので、他の本を買うかどうか迷った記憶がないし、浪速の目録はこれ以降しか手許にない(それ以降は、全てとってあり、時々見返している)。はじめからこの目録を見ていたなら、値段と勘案して、おそらく『風土 完全版』を買っていただろう。
それにしても、どれも珍しい本とは言え、現在の古書価格と比べると、バブル当時の古書価は、やはり高いものだったと思う。現在(2015年)なら、『ボオドレエルの世界』、『塔』、『幼年』、『夢百首雜百首』B版などは、掲載価格の3分の1~半額程度だろう。しかし、例えば石川淳をはじめとした著名人への献呈本などは「この1冊のみ」という特別な価値を持つ本であり、時代の趨勢や流行には呑み込まれず、現在でも高値安定である。

ところで、この書誌特輯目録で特に驚いたのは、実は反町茂雄が50年に渡って発行し続けた「弘文荘待賈古書目」全55冊揃いの値だった。
古書肆弘文荘の名は、古典籍に疎い私でもその名はとりあえず知っていたものの(この前年、1989年の七夕大市の際だったか、或いはこの90年だったか、真白な麻の背広にネクタイを締めた、背筋のピント伸びた鶴のような老人をその入り口で見かけたことを覚えている―ア、コノ人ガアノ反町サンダ、とその時思ったのだから、既にその顔をどこかで知っていたことになる―)、私には縁遠い古典籍を中心とした目録の様子でもあり、この時までにその古書目録を実際に手にしたことはなかった。浪速目録に掲載されたその値、280万円。ナンダロウコノ値ハ! というのが当時の印象だった。いくら「日本を代表する世界的古書目録」(解説文)とは言っても、原物ではなく、古書目録だろう。どこにそれだけの価値があるのだろうか? それ以来、まだ見ぬ「弘文荘待賈古書目」という名が頭に刻み込まれた。
(つづく)

河出書房新社『堀辰雄 福永武彦 中村真一郎』日本文学全集17

本日入手。福永武彦は「深淵」・「世界の終り」・「廃市」が収録されている。
色々感想はある。例えば収録作品の選択に関して。しかし、ここでは書かぬ。

「福永武彦年譜」に関してのみ、問題点をいくつか。
1 簡略なものである割に、間違いが複数ある。
2 住所の記述が、中途半端である。書くのなら、全て記述すべき。たいした量ではないのだから。
3 刊行本の記述も、中途半端である。
4 参照した既存年譜をあげていない。

他にも、さまざま問題がある。次回例会にて、具体的に指摘する。

友川カズキ『生きてるって言ってみろ』(白水社)

昨日8日の「朝日新聞」書評欄に、当HPの1月例会報告でも御紹介しています、友川カズキ『生きてるって言ってみろ』(白水社 2015.1)の書評が掲載されています。引用します。

「著者は中学2年で中原中也の詩「骨」と出会い、衝撃と恍惚(こうこつ)に頭が真っ白になる。「もうあとには戻れない」。以来40年、ことばを思い、曲を作り、歌い、絵を描いた。ギャンブルにのめり込み、酒をあおった。自らのなりわいを「虚業」と称して感じ入り、世間が愚行とあざけることに溺れる「どこに出しても恥ずかしい人」たちを愛す。とりわけ、早世した俳優たこ八郎、自殺した弟を描いた章は、恥じらいを秘めた語りの裏に熱い情感が透けて、美しい。
 ビッグデータがものをいう現代。そこを己の詩情一本でまかり通る著者の異形ぶりは痛快だ。ただ、人生を語りながら、詩と情の核となるはずの色恋の話に乏しいのは、なぜなのだろう。(白水社・2052円)」

最後の部分、色恋の話に乏しいその理由は、友川さんご本人によれば「あまりに生々しい」ということですが、推測するに、真剣勝負の色恋沙汰故、中途半端な触れ方は出来なかったでしょうし、人さまの眼に晒すべきでないこともあるでしょう。さらに、色恋を客観的に語るほど、まだまだご本人が枯れてはいないというあたりでしょうか。


鷗外「舞姫」草稿の出現。

先日、「国際稀覯本フェア2015」(日本古書籍商協会創立50周年記念)なる目録を送ってきたのでパラパラ捲っていたら、福永関連は見当たらぬものの、なんと鷗外自筆草稿「舞姫」1冊が掲載されている。驚きだ。

明治22年に執筆されたこの草稿に関して、弘文荘反町茂雄の『一古書肆の思い出 2』(平凡社 1986.12)には、1933年の6月に御徒町の吉田書店から300円で反町がこの逸品を譲ってもらい、それを朝日新聞社の上野精一に350円で売却した顛末が記してあり、強く印象に残っていた。後、1960年に、上野はその原稿のコロタイプ印刷の複製を300部(追加170部)作製している。
今回の目録掲載画像を見ると、巻末に「月明荘」の印がはっきりと押してあり、弘文荘が扱った品であることがわかる。

当時の350円というのは、どの程度のものだったのか。
「国際稀覯本フェア2015」には、八木書店が「百万塔陀羅尼 自心印」を486万円、432万円と2種掲載しているが、同種の品が「弘文荘待賈古書目 第1号」(1933.6)の冒頭を飾っており、その売価が100円。
同じ自筆物で見ると、「弘文荘待賈古書目 第2号」(1933.12)には、鷗外の短篇「西洋定芝居の始」が50円、芥川の長文書簡8通が50円、美妙の脚本「夢幻日記」が20円、露伴「西鶴當世女客気」が40円で掲載されている。
銀行員の初任給が70円、大工の手間賃が一日2円の時代である。相対的に見て、現在より自筆物の価格はズッと低いが、それでも「舞姫」の価格が突出していたことはわかる。

さて、この「舞姫」、現在いったい幾らで目録に掲載されているのか。興味のある方は、どうぞ御覧ください。
鷗外「舞姫」草稿

ただ、この出品店である臨川書店の解説文には「「舞姫」には鷗外がのちに七回にわたって推考を加えた七種の稿本があり、改削によってかなりの異同があるとされている。」と記されているが、「稿本」が7種もあることは寡聞にして知らない。
嘉部嘉隆が『森鷗外「舞姫」諸本研究と校本』(桜楓社 1988.1)で、草稿を含めて、初出誌から各版の単行本所収の「7種」を比較対照して校異を作成しているが、その7種の本文とは違うのだろうか?
識者の御教示を待ちたい。



    三坂 剛

福永武彦研究第10号のお報せ。

「福永武彦研究第10号」を発行いたしました。
B5判、2段組・137頁、表紙絵 戸村茂樹、定価1200円。200部(増刷はしません)。

福永武彦研究第10号表紙

【内容】
① 資料紹介:           
「幼年」別稿3種  翻刻文と簡単な註釈。内、原稿1種はカラー画像掲載。
②論考(作品論):
・「退屈な少年」論 
・「夢みる少年の昼と夜」論    
③随筆:『草の花』とともに    
④書評:『福永武彦戦後日記』/『福永武彦新生日記』
⑤本文研究(後より前に)   
『小説 風土』本文主要異同表  初出→省略版(第1部)/初出→完全版(第2部)、漢字・かな主要異同一覧
⑥随筆集索引(後より前に)各担当者 
 『別れの歌』/『枕頭の書』/『書物の心』3冊の人名/作品名索引
⑦会員短信 

巻末に
・研究会例会活動履歴(2013年5月~2014年7月)
・会則
・執筆者紹介
・編集後記

当HPから購入可能ですので、ご希望の方はご連絡ください。

福永武彦研究第10号 幼年別稿

2冊の評伝―富士川英郎と吉田健一―

2冊の評伝を立て続けに読んだ。『吉田健一』(長谷川郁夫 新潮社 2014.9.30)と『評伝・富士川英郎 ある文人学者の肖像』(富士川義之 新書館 2014.3.5)。

新刊の『吉田健一』(長谷川郁夫 新潮社 2014.9.30 )は、2段組650ページの大冊だが、吉田の晩年に編集者としてその謦咳に親しく接した、小沢書店の元店主、長谷川郁夫の熱意の籠った筆致に惹き付けられて飽きずに読み通した。「新潮」連載時にもところどころ読んではいたのだが、今回通読して、さまざま想いをめぐらせた。
吉田健一(1912-1977)は、20年前にかなり凝って以来、ずっと関心を持ち続けている(「凝る」とは、私の場合、必ずや初版本をすべて蒐集し、かつ読み、さらに草稿や書簡などの自筆物にも手を出すことを言う)。
福永、中村と同じ西洋派だが、その創作態度、人生観はかなり異なる。
周知のごとく、吉田健一の父親は吉田茂、祖父は牧野伸顕(大久保利通の子)であり、一見、くにゃくにゃした日常の立ち居振る舞い(と吉田を知る人は皆一様に述べる)の中にも、背筋の伸びた士(さむらい)の精神がピシっと通っていたと長谷川は語る。
ただし「吉田さんはしかし、中村眞一郎、福永武彦、加藤周一ら“マチネ・ポエティク”三人の仕事を評価しなかった。」「そこが石川淳または丸谷才一と異なるところだった。吉田さんは、例えば藝術家を主人公とする藝術家小説は書かない」「吉田さんは自身が知識人、藝術家であることを許さなかった。ただ、一人の文士としての誇りに生きた。頑固だった。その意味で、丸谷才一が「ごく普通の人間、ただし恐ろしくなるくらゐ正確にそして精妙に文章をあやつれる普通の人間」というのは正しい。あるとき、“ランチョン”での雑談の折りに、何気なく「なぜ、中村眞一郎らを認めないのですか」と訊いたことがあった。吉田さんは答えにくそうに、「だって、かれらは戦争に行かなかった‐‐‐」と呟いた。時代錯誤のようなこの返事に、戦後生まれの私は仰天したが、やがて、そうかやっぱり吉田さんは士(さむらい)‐‐‐誇りたかき普通の日本人なのだと得心したものだった」(583頁)、とある。
藝術家としての強烈な自意識を生涯保ち続けた福永と、自身が芸術家であることを許さぬ「誇り高き普通の日本人」吉田健一では、確かにあい入れぬ面が多いだろう。しかし、吉田が「普通の日本人」であるならば、一般のそれこそフツーの人々は、どうなるのか。長谷川のいう「普通」とは何か。それは考察に値することだろうが、今はおく。
ただ私は「普通」かどうかはともかく、吉田が福永や中村の仕事を評価していなかったとは考えない。その理由も、今はおく。ただ、事実として、中村眞一郎の書棚には、吉田健一から贈られた献呈署名入りの著訳書が並んでいて、その中のワイルドの『藝術論』は今、私の書棚にある(画像)。
吉田署名本 藝術論002

中村さんから直接聴いた吉田健一にまつわる話をひとつ紹介しよう。赤坂のマンションで伺った話。

吉田健一さんについては、いろんな伝説があるね。あの人はフランス語も英語も堪能だったから、ヴァレリーでもシェークスピアでも、原文でよく暗誦していたね。時に篠田一士に電話をかけてきて、「ヴァレリーの一節をいま暗誦するから、これでいいのか、君の手許の本で確認してほしい」と言ってきたそうだが(自分では余り蔵書を持たなかったので、執筆の際には、時々篠田に本文を確認したらしい。)、それがほとんど間違いがなかったというね。ところが、いつぞやは堀さんの『聖家族』の冒頭「死があたかも一つの季節を開いたかのようだった」という部分を吉田さんが暗誦したら、それが“Il semblait que e’était la Mort qui avait ouvert la saison---”とフランス語になっちゃったってんだから、一体どうなってんのかね。実に奇妙な人だね。

ここには、先輩文士である(中村さんより6歳年上)吉田健一に対する親愛の情が感じられる。中村さんにとって、吉田健一は「文学の愉しみ」を共有できる、数少ない知り合いのひとりだったのではないか。吉田健一にとって、シェークスピアもヴァレリーも堀辰雄も、作品名と同時にその詩句が自ずと暗誦されるものであり、それが文学なのであって、何語で書かれたのかということは、どうでもよかったのだろう。

この新刊『吉田健一』は、これから吉田を論評・研究する際には必須の文献となるだろう。実に丹念にその「人と作品」を紹介している。愛読者には、前半部の(戦前の)、ケンブリッジ留学時の美しい師弟関係や、河上徹太郎や中村光夫、雑誌「批評」同人たちをはじめとする多彩な作家・詩人たちとの交遊・逸話が好まれるだろう。しかし私は、1956年から10年余、吉田健一の著訳書を次々に刊行し「吉田健一著作集」(画像 小林秀雄宛署名本)を企画・刊行したものの、全20巻の内4巻が未刊のままで倒産した垂水書房主の天野亮に関する長谷川の心情の籠った記述に、烈しく胸を打たれた(本書には未記載だが、福永の訳詩集『象牙集』を刊行したのも天野である)。そこには、後に同じく自社(小沢書店)を倒産させてしまうことになった編集者としてだけでなく、吉田健一に心底惚れこんだ者同士としての、長谷川の篤い想いがある。

吉田署名本小林秀雄宛 004
また、後半部の、主要作品を紹介する手際の良さ、引用の確かさは、著者長谷川が吉田文学の深い共感者・理解者であることを示している。つまり、編集者本によくある単なる逸話の集積ではなく、吉田文学を俯瞰するにも最適な内容となっているので、これから読み始めようとする方々にもお薦めできる。さらに、作品の初出掲載誌を必ず記し(わからぬ文は未詳と記し)、所収単行本の刊行年・版元だけでなく、その装幀を含めた書誌的事項を細かに記している点は、研究上でも実に有用である。「あとがき」末尾に「著作からの引用は原則として、集英社版「著作集」に基づくものだが、「ヨオロッパの世紀末」以後はおもに初刊本に拠った。原書房版「全集」後の仕事は、著者自らの手で「定本」化がなされていないと判断されるからである」というのは、ひとつの見識だろう。ただ、巻末の「人名索引」は、例えば福永武彦は記載されていないので(何箇所か出てくるのだが)、「主要人物に限る」と註を付けておくべきだろうし、中村光夫への書簡・はがきや、西村孝次の日記の引用元を明記しておいて欲しかった。

その著書刊行に合わせて、先日10月27日に神保町の東京堂書店で行われた、日本文藝家協会「文芸トークサロン 第29回」、「評伝『吉田健一』を書き上げて」に参加してみた(聞き手、小池三子男氏)。参加者は50名もいただろうか。
前半は、今回の評伝に関って、吉田健一文学の特異性や、今、新たな読者を獲得している理由(文芸文庫には20冊入っているとか)、評伝の執筆動機や姿勢などが語られ、後半は、4年半の親密なお付き合いの間の種々のエピソードを通して、吉田健一の横顔が生き生きと語られた。長谷川氏のシャイで誠実、そして靭い意志を感じさせる話し振りも心地よいものだった。「この作品は30年前から書こう書こうとしていた、どうしても書かなければならないものでした」と。
最後に質問をしてみた。「吉田さんが小説を執筆する際には、構想ノートやメモを取られてから執筆されたんでしょうか、それともブッツケで書いたのでしょうか?」、長谷川氏は明確に「ブッツケです。評論はとにかくとして、吉田さんにとって小説とか随筆とかの区分けはどうでもよかったし、付けた題名だっていいかげんでしょう。直しもほとんどなかったです。それでいて、原稿用紙の最後の行でチャント終っていたんです」と言われた。「それは初期からのことですか?」「そうです」とも。
後期の、主語や読点をほとんど省いて延々と続くあの和文脈の文章から、福永のような綿密な構想ノートはないだろうと予測はしていた。「原稿用紙の最後の行で終っていた」というのは、言い換えれば「どこで終えても良かった」ということで、それは「構想ノートを取らなかった」ということの表裏なのではないだろうか。
登場人物などの名前がチョコッと書いてあるメモを脇に置いただけで、一篇の小説を成したと福永自身が述べている石川淳の系統に属する作家だったということか。「オメエは素人だ」と福永は石川淳にしばしば言われた様子だから、長谷川氏の言を信じるならば、吉田健一はそういう意味で玄人作家だったということだろう。
しかし、まったくメモもなしで書いたとは、どうも思えないのだが。 (つづく)

三坂 剛
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